柴犬のblog

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アイヌ利権を知ろう

世の中には普通の人が知らないようなことでお金を儲けている人がいるというお話です。

先日、テレビ番組でアイヌを「あ、犬」とダジャレを言ったことで抗議が殺到し、謝罪に追い込まれた事件があった。多くの人は何がダメなの?って言ってて、自分の知り合いも何人かそういっていたので、「一言で言うと、別になにもダメじゃない。単にチンピラがごねてるだけだ」私はそう説明したが、少し詳しくまとめたいと思う。

そもそもアイヌって何か。古くから東北や北海道に住み着いていた人たちで、定住せず狩猟その他でその日暮らしをしている人たちのことだ。独特の文化や言葉もあり、それは北海道の地名に色濃く残っている。

が、いまはもう民族としては存在しない。

民族保存の会がある?いや、それは文化の名残を残そうというだけで、いま現在アイヌ民族というのは存在しない。日本は単一民族国家である。

民族というのは何か?はっきり答えられる人はあまりいないと思う。簡単に言えば言語や文化、風習などが共通する人たちの集まりだ。人種とかは関係ない。ユダヤ民族ならユダヤ教徒であるという共通性だけが定義であり、人種は関係ない。つまりアイヌ民族というのが存在するのなら、アイヌ語を話し、アイヌ集落に暮らし、アイヌの伝統に則って生活している集団が存在しなければならないが、もちろんそんな人たちはいない。

いまの日本人は、同一の言語で同一の教育を受け、同一のテレビや新聞を見て、同一のコミュニティで生活している。これは単一民族だとしか言いようがない。

いまアイヌ文化を保存しようとしている人は、ほとんどがもともとアイヌではないか、先祖にアイヌがいたかもしれないという程度のもので、日本語を話し日本の学校に行き普通の生活をしている。一人や二人マタギで暮らしてる人がいたとしても、それは民族とは言わない。よって、日本にアイヌ民族というものは存在しない。まずこれは知識で知っておこう。

存在しない人が差別されるわけがないので、抗議自体がナンセンスであるといえるが、ここではその内容にも問題がないことを示していく。

 

次に、例のテレビ番組の何がいけないのか。アイヌは名前にイヌという語が含まれているから、昔から犬扱いされていたというのが理由だ。こんなの単なるダジャレであって、名前に猫が含まれていれば猫って言われるだろうし、犬塚さんならイヌさんとか言われることもあるだろう。これのどこが差別なのだろうか。単なる愛称ではないか。

山寺さんを山ちゃん、渡辺さんをナベちゃんと呼ばれて怒る人がいるだろうか。いるわけがない。

彼らは犬扱いというのが蔑視しているというのだが、今の日本に犬を蔑称として使う習慣はない。昔の刑事ドラマなら「サツの犬め!」なんて言葉はよくあったが、いまどき死語に近いだろう。むしろ犬はカワイイ存在であり、件の番組でも犬の着ぐるみに入った人が言っていた。単におどけているだけだ。これを差別だと言い出す人がいる自体、作ってる人も見ている人も想定外だったろう。犬を犬畜生と言ったのならともかく、どこにも差別する意図はないのは明白だ。

しかし、抗議が来るとだいたいメディアも企業も謝ってしまう。とくに差別なんて言われたら尚更である。

差別というのは制度などで区別されている場合をいうのがほとんどだ。たとえば黒人には選挙権がないとかいったら差別だろう。でも、黒人は嫌いだと言ったら差別か?それは単なる好き嫌いであって差別とは違う。差別に抗議する人というのは、自分がどんな理由でもネガティブに扱われれることを差別と言い張る。単なるダジャレを言っただけでなぜ差別になるのか。何一つネガティブに扱われていないのに。

 

それはアイヌ利権というものの存在を理解しなければいけない。アイヌはいろいろあって少数民族なりの苦労をしてきた。それは確かだろう。でもこれを差別の歴史だと主張している人たちがいて、各方面にゆすりたかりをしているのだ。そもそもアイヌが制度上差別を受けたことなどない。

昔、北海道旧土人保護法というのがあって、これが差別を助長していたと主張している人がいるが、それは間違いである。この法律は狩猟ばかりしていて生活が安定しないアイヌに対して、土地を与えるから定住して働けという法律である。ところがアイヌはその土地を和人に売ったり貸したりして働かず、より困窮したという。

和人と交わり同化していくことで、この法律は不要のものになったが、なぜか彼らは土地や名前を奪われた、文化を奪われたと言ってこの法律を根拠に差別があったと主張するのだ。それによって補助金やら寄付やらを募って、金もうけをしている人たちがいるのだ。

そして、その人たちは、戸籍だの家系図だの、そういうものは関係なく、自分はアイヌだと言えばアイヌとして扱われるのだという。こんなバカな話はないだろう。

つまり、アイヌ差別があったということにしたい自称アイヌたちが、自分たちが少しでも悪く言われてそうなら差別だといって騒ぎ、謝罪と賠償を求めるのだ。

あれれ?これってどこかの国にそっくりじゃない??

当然のことながら、その自称アイヌの人たちの中には在日朝鮮人もいるという。なぜ戦後のどさくさで入り込んできた人がアイヌなのか、そしてそれを許している行政はどうなっているのか。もちろん、下手なことをすれば騒ぎ出すし、役人の中にもそのシンパがいるのだろう。この状況を訴える人もいるが、レイシストのレッテルを貼られてしまうだけで世の中は動かない。

日本人は怒ってる人がいたら謝るものだと思い込んでいる人が多い。差別はいけないことだといって、差別されたという人の言い分をそのまま信じてしまう人が多い。というか、マスコミがそういう報道を繰り返しているから世間の人もアイヌは差別されているものだと洗脳されてしまうのだろう。

でも、現実は違うので、みなさんは事実を前提に物事を判断してください。

え?少数民族なら少しくらい迫害されていたかもしれないって?それをいうなら入植してきた和人のほうが少数だろう。当然彼らはよそ者だと扱われたかもしれない。それでも和人がアイヌに差別されたなんて100年以上たっても言うやつなんか一人もいない。

いまでもよそ者に厳しい土地はあるだろう。それでもそれをもって差別だなんていうだろうか?いやならそんな土地にいかなきゃいいんだから。そういう個人間のいさかい、個人的な好き嫌いによるいざこざまで差別だなんて言ってたらきりがない。

それどころか、この日本には、アイヌどころか「差別」そのものが存在しないのである。選挙権は男女にあるし、誰だって誰とでも結婚できる。立候補だって会社を興すことだって誰でもできる。学力があればどんな学校にだって入れる。まさに「どこへだって行けるし、何にだってなれる」のである。これのどこに差別が存在しうるのだろうか。差別差別言うやつこそ、自分を差別してもらってそれに文句言いたいだけの差別主義者だと言えるだろう。

 

まとめますと

・日本にアイヌ民族はいない

・いないのに補助金を受け取ってる人がいる

アイヌ民族が差別されていた歴史はない

・存在しない差別を煽ることで金もうけをしている人がいる

 

ということです。

で、この「差別を商売にしている」というのは、いわゆる同和問題でもよく取りだたされることなので、興味がある人は調べてみてもらいたい。