柴犬のblog

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自分で起こした事故でもないのに懲役18年は重い

煽り運転が厳罰化されたきっかけとも言われている、東名の煽り運転事件。その被告人に懲役18年という判決が出たというニュースがあったけど、普通に人を二人殺したってそんなに行くか?(行くかも)って感じなのに、殺人部分に故意のない犯罪でこれはちょっと重すぎるんじゃないかと思った。

とか書くと石橋や飯塚を馬騰しないと気が済まない人たちが鼻息荒くして寄ってきそうなんだけど、考えても見て欲しいのだけど、高速道路の本線上で止まるという行為は確かに危険だけど、だからといって必ず事故が起きるというものではない。後続車が前を見てさえいれば普通に止まれるし避けることもできるだろう。なにしろ高速道路は1㎞くらい先まで見渡せるくらいまっすぐだし道も広いのだから。

なのにも関わらず、追い越し車線にいてはいけないトラックが乗用車に追突したというのだからまず責めるべきは前を見ていなかったこのトラックの運転手だろう。

さらにいくら煽られたからといって本線上に、それも追い越し車線に止まろうと思った被害者もどうかしている。どうせ止まるなら路肩に止まればいいだろうに。それならまだ追突される危険が減るというものだ。まあ、トラックはどこに止まっていても追突してくるものだけど。

これらの石橋被告以外の人物の過失というものも多分にあるのに、殺意ある殺人罪に匹敵するような判決というのはいかがなものだろうか。もちろん煽り運転なんかする奴は実刑でいいけど、その結果として死傷したというのはその煽り運転による事故が前提だろう。そこへ他人の重過失による事故があったとして、なぜその結果の責任を負わされるのか、そのへんがどうにも理解できない。

もちろん、止めさせなければ起きなかった事故かもしれないというのはわかる。因果関係と言う意味で言えばないとは言えない。でも、他人が起こした事故の責任を負わされるほどのことか、というのが理解できないのである。

Twitterなどのコメントを見ていると、どうやら高速道路で前の車が止まっていた場合、追突しても許されると思ってる人がちらほらいる。そんなことはない。高速道路では普段10割の過失割合が7割くらいに減るというだけのことで、追突というのは圧倒的に追突した側が悪いことには変わりない。

このへんの感覚がどうも世間の人はおかしいというか、前の車が急に止まったら追突してもしかたない、後続の運転手は災難だったと思う人が多いのだ。そんなもの車間をとって前を見てればどんなタイミングでブレーキ踏まれても対応できるのが当たり前だろう。こういうことを言う人は運転しないでもらいたいと切に思う。

 

さて、刑事責任についてだけど、まず危険運転致死傷罪に他者が起こした事故の責任まで含むのかどうか、そういう立法意図があるのかどうか。これはたぶんない。だから適用できるかどうかで相当もめたのだ。ここで話をやめてもいいレベルだとは思う。

もし、適用されるとした場合でも、これは止めさせたという行為と事故に因果関係があり、それが有責であるとみなされなければ罪には問えないことになる。広義の因果関係があるのは確かではあるが、果たして事故の責任を負うほどの因果関係があったのか、止めさせる行為に殺人の故意まで認めるほどの責任があるのか。ここが争点になると思う。

個人的には、底なし沼の上で止めさせたとかいうなら殺人の未必の故意があると言えると思うけど、普通に運転してれば追突なんかしないんだから止めることでそいつが死んでも構わないとまで思って行ったとは思えない。

言うまでもないけど、犯罪には「故意」が必要であって、明確な殺意でなくても結果にある程度の予測が可能であったかどうかが必要になる。たとえば人が多いところで発砲するような場合、特定の誰かを殺そうと思っていなくても、誰かに当たって死ぬかもしれないことは容易に予測できる。これは殺人の未必の故意があるということになるわけだ。

高速道路の本線上で止めさせるという行為は確かに危険ではあるが、人混みに向かって発砲するというほど危険かと言うとそうでもないとしか言えないだろう。

そもそも被告人も止まっているのである。危険性は同等なはずで、被害者だけが死傷したのは単にたまたまというだけだ。もしその死への未必の故意があるなら自分をもその危険に置くとは到底思えない。

それに追い越し車線ではないが警察も高速道路上での取り締まりにおいて本線上に止めさせることはある。自分も違反もしてないのに止めさせられたことがある。直後に警察に電話して猛抗議したけど、本線上に止めるという行為そのものがそれほど危険ではないから警察官は頻繁にそれをするのだろう。これは正当業務行為というものではあるが、違反してもいないものを止めるのはそれにあたるか些か疑問だ。もし追突されていたら警官に重罪が課されるかというとそれは考えにくいだろう。それがちょっととっぽい兄ちゃんだったからといって18年ってのはさすがに重すぎる。

 

さて、そもそもこの裁判、自分が起こした事故でもないのに危険運転致死傷罪に問えるかどうか、というのが争点だったはずだ。そしてそれには当たらないという前提で審理されたのに判決では突然該当するという内容だったので、審理の方法に違法性があるとして地裁に差し戻されたという事件だ。そこで改めて危険運転致死傷罪にあたるかどうかという裁判を行って、あたるという判決が出たわけ。でも、自分が起こした事故でないのに責任を負わせるのは法の精神にもとる判決だと思うわけ。

ほかのことに例えるならば、部屋の鍵をかけるなと誰かを脅した人がいたとして、その人がカギをかけずに寝てたら強盗に入られて殺されてしまったとしよう。脅した人は自分が忍び込んでいたずらでもしてやろうという気持ちしかないのに、結果として殺されたのだから単なる脅迫・強要だけど強盗殺人に匹敵する刑罰を与えてやろう!ってのと同じだ。

鍵をかけずにいることは確かに危険ではあるが、必ず泥棒が入るわけでもないし、ましてや必ず強盗に入られて殺されるなんてこともないだろう。それを期待して鍵をかけさせないなんてこともあるわけがない。今回の判決はそれくらい飛躍していると言えるのである。

もちろん、上級審で覆るものと信じているけど、世論が石橋叩きに躍起になっているからといって、条文にない判断をするというのは罪刑法定主義に反するというものだ。だからといって「止めさせたことで他の車に追突されたときも危険運転致死傷罪として論ずる」なんて一文を追加したところで、その条文そのものが違法性があると訴えられる可能性すらある。そもそも危険運転致死傷罪が想定しているのは危険な運転をしたことで起きた事故についてのことだ。そのことで他人の事故を誘発した、というのをその条文でもって罰するのはちょっと無理がある。もし重罪にしたいというのなら「殺人罪」での立件をするしかない。でも、これも当該事故を故意に起こしたわけではないから、殺人罪で罰することは無理だろう。つまり、彼を重罪にするという法的根拠がないのである。これは条文上だけでなく、法理論上も。なにしろ、事故を起こしたのは彼ではないのだから。

 

とまあ、自分は法律をかじってるけど法曹ではないし(よく弁護士さんですかとか言われるけど)、ちゃんとした法学者さんがどう考えてるか知らないけども、すくなくとも自分は「一番悪いのはトラック」であり、止まったことの責任は被害者にも半分あるし、被告人にも事故で死ぬ可能性もあった。そう考えると、危険運転と事故の結果は分けて考えるべきであり、もし因果関係があるとしても被告人が自らぶつけたかのような厳罰は法の均衡を破るものであると言えると思う。

どれくらいがちょうどいいかって?まあ、単なる危険運転とするなら懲役数年、執行猶予5年とかだろうけど、事故が起きたことの因果関係を認めるとして彼の責任が上乗せされるとするならば、せいぜい懲役5~6年の実刑でいいんじゃないかと思う。

 

最後になるけど、別に石橋なる男を擁護したくて言ってるのではないし、普段から煽り運転してるような奴は死ねばいいと思うけども、だからといって法律を捻じ曲げて適用するのはおかしい。とくに世論におもねって重罪にするなどまるで韓国のようではないか。法治国家としては恥ずかしい限りだと思う。そのことをどうか理解してもらいたい。