柴犬のblog

プロレスや時事など心ゆくままに記します Twitter @chavillain3

トンデモさんとインターネット

前の記事の続きになるけど、最近ほんとうにトンデモさんをよく見る。

いや掲示板にいる「無知のくせに偉そうで間違いを指摘されても認めない人」「圧倒的に理解力が低くて会話にすらならない人」みたいなのは別段珍しくないんだけど、どうもね、昔見たトンデモ本に出てくるような人をとても良く見る。

そもそもネットは自分が興味があることしか調べないし、Twitterでフォローするされる人も然りであろう。だから自分にとって心地よい世界を構築できるわけなのであるが、他人のリツイートなりプロモツイートトップツイートなどの機能によって自分が興味のないもの、相容れないものを目にすることも、ままある。

自分の場合はニュースサイトのアカウントにレスしたりされたりするものだから、最近はより多くの考えを持つ人と交流を取ることになっている。

まあネットというものはそういうものだし、もう20年くらい?もっとかな?ネットやってればいろんな人を見てきたわけだけど、最近デジャブーを覚えてしまうのだ。

それがその20年くらい前に流行ったサブカル系の本。その中でも、似非科学、オカルト関係の本の荒唐無稽な主張や非科学的な解説に突っ込みをいれて笑いものにするという「トンデモ本の世界」という本だ。

この中心人物である山本某さんという人もけっこうトンデモな人なのはおいておくとして、まあ普通の人が見てもおかしいと思えることをいちいち本気で突っ込んでいく本なので、見ていて爽快なのである。この本を読めばそこに取り上げられている実際の「トンデモ本」をいちいち読む必要がないから楽というのもある。

さて、昔はトンデモ本にしろそれに突っ込むにしろ、「出版」という巨大な壁を越えたものしか我々の目にはとまならくなっている。トンデモ本の存在が面白いのは「よくこんなの出版出来たな」「誰が買うんだこんなの」というのが根底にあったうえでの内容への突っ込みなのである。誰でも出せるものにどんな荒唐無稽なことが書いてあったところで何も面白くはない。怖い(面白い)人がいるなあ、と思うくらいである。

さて、2chなどの掲示板しかなかった時代は匿名でありIDがあったとしてもそのスレその板だけの話であり、日を跨げばまたその人は特定できなくなる。毎日が新鮮な、新たな人との出会いとなるわけだけど、mixiあたりから固有のIDをずっと使って話をすることが、いうなれば半匿名といった状況になってきた。

facebookTwitterはその中でも「横のつながりやすさ」が顕著なサービスだと思う。いちおう、ある一定の趣味や思想のある人がまとまる「クラスター」はあれど、それら同士が多重に絡み合っていて、他の趣味他のクラスターの人と交わる率が単なる掲示板よりも多くなっている。これは掲示板とは違った新世代のコミュニケーションだとは思うけど、これによって普段あまり触れ合わないタイプの人たちの意見を垣間見るようになってきた。

で、アンチコロナという一つのまとまりの中に、「トンデモ」な人が混じっているというのも、なんか不思議なものを感じてしまうのだった。トンデモ本は出版物だから我々から考えると非現実だけど、ネットはわりと現実に近い。現実の中に突如非現実が現れたような奇妙な感覚を覚えたので語ってみようと思ったけど、ぜんぜんまとまらないのでこのへんでやめておくことにする。