柴犬のblog

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差別差別うるさいやつは単なる活動家

黒人差別の話のときにも書いたけど、まだこの問題は終わってないらしいのでまた書こうと思う。

 

そもそ差別とはなんだろうか?

差別という言葉をそのままの意味として受け取るのなら、差をもって分けるということだから、まず制度上による区別がいえるだろう。特定の人種や民族の人に選挙権を与えないとか、特定の職業につかせないとかいったものだ。これは明らかに違法だから、いまはほとんどの国で撤廃されている。

現状においては制度上の差別というものは存在していない。黒人だから女性だからということで選挙権がないとか、特定の職業につけないとか、税金が高くなるとか、そういったことはない。ところが、古くは差別とはこういった制度上のものを言うのがほとんどだったのに、いつからか単なる批判をするだけで差別だといわれるようになってきた。

粗暴な警官に市民が虐待されたり殺されたりする。そうすると、被害者が黒人で加害者が白人であれば、「差別だ」といって批判され、ときには暴動すら起きてしまう。いちいち暴動なんか起こすから黒人への偏見は増えていくとは思うが、彼らの気持ちはわからなくもない。でも、警官による虐待事件はなにも白人が黒人に向けるものだけとは限らない。白人も被害者になっていることを見ると、単に警官が粗暴なだけだというのはちょっと前の記事でも書いたと思う。

それに、もし白人の警官が黒人を見て普通より警戒して武器を使用することに躊躇しなかったとしても、それは犯罪率の高さが原因であり、差別かというとそれは違うだろう。我々が服装や髪形でヤクザだのヤンキーだのを区別して警戒するのと何も違わないのだ。

最近また黒人が射殺されたということで騒ぎになっているけど、その黒人は飲酒運転をして車を止めさせられたのに、素直に取り調べに応じないばかりか大暴れしてテーザーガンを奪って逃走しようとしたらしい。テーザーガンというのは銃口の電極が飛び出して相手に当たったところで電流を流す、遠隔スタンガンともいえる代物だ。殺傷能力は低いが相手を無力化するには十分である。こんなものを犯罪者に奪われたらそれをもって拳銃を奪うこともできるだろう。警官としては即座に鎮圧しなければならないのは考えるでもない。

日本なら「だからって射殺しなくても」と思えるかもしれないけど、日本と違って銃社会であるアメリカでは、こういった犯人を取り逃がすことで別の被害者が出る可能性が非常に高い。発砲することが悪いなどとはとうてい思えない。まあ、死なないように撃つべきだとは思うけど、緊急時にそこまで気を使ってられないだろう。

それでもなぜか、「また黒人が射殺された」と大騒ぎする連中がいる。これはもう味噌もくそも一緒にしているというか、黒人の死そのものをネタに大騒ぎしたいだけというか、そういった活動家がいるということなのだろう。

実際、KKKのカウンターみたいなアンチ黒人差別過激派というのは存在していて、昨今の暴動を指揮しているという話もある。まあ日本でいえば「しばき隊」みたいなものかな。そういう連中が暗躍していることに留意する必要がある。

 

繰り返しになるが、現代には制度上の差別というものは存在しないし、黒人が道を歩くだけで石を投げられるなんてことはない。そもそも黒人を少しでも悪く言うと差別だと糾弾されるし、テレビ番組や映画の善玉には必ず黒人も配置しなければいけなかったり、これ以上ないくらいに気を使っている。

その昔、手塚治虫ジャングル大帝を描くにあたってアメリカ人メディア関係者から「黒人はハンサムに、白人は醜く描いてください」と注文されたという話がある。黒人を悪役にすると文句がきてうるさいから、白人を悪役にしてくれとの話なんだけど、手塚治虫本人はハンサムな黒人と不細工な白人を描いてみて「しまらねぇなあ」とぼやいているのが面白い。

ジャングル大帝の時代からしてそうだったんだから、そもそも黒人を腫れ物のように扱う風潮は普通にあったわけで、そういう文句が来るのを面倒だと思う白人も多いはずだ。それから40年50年後の現代において、差別が拡大しているといわれてもそんなわけないだろうとしか思えないんだよね。どちらかといえば差別叩きのほうが拡大していると思うのだが、どうだろうか。

それでも差別反対!〇〇の権利を認めろ!というやつはいくらでもいる。まあ黒人にしろ部落にしろ、実際にひどい時代があったものについては仕方ない部分もあるが、現代でそんなものは存在していないんだから、殊更に運動する必要などないのだ。それでもそういうことを言う人というのは、単に「活動」がしたいだけなのだ。自分たちが世間と違うことを言うことで世間の話題になり、そうすることで世論を動かしているのだという満足感を得たいのだろう。彼らのプロフィールを見ると判を押したように反原発反自民反安倍共産党またはれいわ支持だから笑ってしまう。

人と違うことをして目立ちたい、いいことしてる風のことをしたい、それにはまず世論や常識を否定することだ、という前提のもと活動している人がとても多い。普通ならそんな人の言うことは眉唾物なのだが、「差別はよくない」というと、いっけん正しいことを言ってるように見えてしまうから困ったものだ。

で、黒人だの女性だのが差別されなくなってきた昨今、彼らはまた別の非差別条項を見つけてくる。たとえばLGBTだ。ホモだのレズだのというのは、多くの人にとっては嫌悪の対象だ。それを嫌悪するな受け入れろ!というのは相当の覚悟がいることだと思うけども、彼ら自身がホモとかレズとかだというわけでも、本当にそういう人たちの権利を守りたいわけでもないわけ。単に人が言わないようなことを言うことで目立ちたいだけ。そしてそれを商売にしようとしているだけ。

というかね、そのLGBTの人たちも、別に大手を振ってカミングアウトしたいってわけでもないんだよね。そもそもそんなの個人の趣味の問題なんだから、相手に受け入れろとかいう時点でおかしいでしょ。もしショートカットスレンダー貧乳好きの人がいたとして、それをいちいち宣言して認めろとか言う?言わないでしょ。男が男を好きだとしても、そんなのいちいち宣言する必要ないわけ。それが気持ち悪いと思われるような趣味なら尚更でしょ。

それにね、たまにやってるLGBTのデモ行進?パレード?ああいうのを快く思ってないLGBTの人たちもいるんだよね。もちろん半裸でいちゃつきながら練り歩いてるホモもいるけど、それはもう普通の感覚じゃないからね。普通の異性愛の人だって人前でいちゃつくのは良しとされないんだから、それを往来でやるなんて正気の沙汰じゃあない。

というか、ホモとかレズとかだけじゃなくてね、もっといろんな性的嗜好を持つ人についても保護しなきゃいけなくなっちゃうじゃん。ロリコンとかスカトロとか死体性愛者とかそういうのまで保護しろって言い出したら賛同しますか?ロリコンなんか保護する必要ないでしょ?目の前でうんこ食われたらどうしますか?差別はよくない!って言えますか?言えないよね。こういう当たり前のことが通じないのが彼らの「差別反対」活動なのですよ。他人に嫌悪感を与える趣味嗜好はこっそりやれ。

 

この言論の自由が保障された世の中、どんな活動をしても法に反しない限り許されるのだろうとは思うけど、いわゆる「活動」をする人たち、「デモ」をする人たちがどれだけおかしなことをしているかというのは知っておく必要があると思う。

世の中を変えたいなら政治家になって選挙で受かる以外にありえない。正しいことはいちいち活動なんかしなくても自然に広まるし、それを政策にする政治家も必ず現れる。

そもそも活動やデモやテロで世論が建設的な方向に動くことなんかあり得ない。そういう活動をしている人を見かけたら変な人たちだと思って見なければ非常識な活動が世の中に蔓延してしまう。言論が自由だからこそ、正しいことを見極める目を持つことが必要なのである。

 

 

結局何が言いたいかっていうと、すぐ「差別だ」というやつのいうことは信用しちゃダメってこと!